2カ月前、父が他界した。齢90を過ぎての穏やかな大往生、何年も前から覚悟していたことではあったが、その人生の幕引きは私にとっては大事件だった。一人の命が尽きたことへの悲しみや喪失感に浸る間もなく、様々なしごとに追われた。
葬儀から納骨までは、魂が抜けた身体をどう運び、どう葬り、どう納めるかということだった。公的な手続きは、一人の人間のデータを無きものとし、そこに紐づけられた事柄をひとつひとつはがしていくことだった。いただき損ねた権利がないように、果たしそびれた義務がないように、手間と時間と根気を要する作業をこなした。
最大の難敵は遺された母のフォローだった。母も自宅での一人暮らしを成立させているものの老いの波にのまれて頼りなくなる一方で、とても喪主の役割は果たせない。親たちの人間関係の表舞台に名代として立つのは重責で、ストレスも大きかった。生物学的には「親」でありながら、精神的には「子」のような存在となってしまった母をサポートしながら、父の人生の後始末をしたこの数か月間はなかなかヘビーだった。
まだ完全に終わったわけではないが、記憶の新しいうちに気づいたことを書き留めつつ、自分自身の終活を始めようと思う。残りの人生を後悔なく楽しめるように、私の後始末をする家族の負担を小さくできるように、今回学んだことを活かしていきたいと思うのだ。
これから綴る終活ブログが、私と同じような立場の人たちに共感してもらえたり、少しでも役に立てれば嬉しいと思う。
写真は庭に咲いている朝顔。「白」という名の日本朝顔で、5月に苗を購入したときにはひょろひょろで弱弱しく、西洋朝顔に比べて頼りなく見えた。それが父の命の火が消えかけた6月末以降、猛暑のさなかにぐいぐいと伸び、毎日毎日これでもかというほどの数の花を咲かせる。父が逝く四十九日の道のりを彩ってくれたのかと、自分勝手な解釈をしているである。
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